父が勤務する会社は、そもそも「贈答品あり」の旧い風土でして。おまけに父は営業マンでしたので、昔から時節時節になると、玄関先がそりゃもう大変な事になったのでした。
お返しの額も莫迦にならないし、好ましいものばかりが届く訳でもなく(うちの母親は果物が嫌いで子供に食べさせるのも「太るから」と厳しく禁じていたため、特に箱入りの果物の始末には苦労したものでした。果物って木箱が多いから、中身ばかりでなく箱の処理も大変だった・・・)、また、年によって流行があるのか、やたらと同じものばかりがだぶってやって来たりもしましたもので、数年前に岡田美里
「堺に来る戴き物が苦痛でした」
と離婚会見をした時、母がしみじみと
「判るわあ」
と頷いていたのもむべなるかな、という感じではあった訳です。
しかし勿論、有難い戴き物も決して少なくはありませんでした。私は、結婚するまで「海苔」という物があんなに結構なお値段だとは知りませんでしたし、食用油と石鹸は買うものではないと思い込んでおりました。「ご贈答品」のおかげで普段なら滅多に食べられないものも時折口にすることが出来ましたし、お返しやお礼状・箱の始末等に煩わされずに済む“子供”という立場で言えば、季節季節のいわゆる「ご挨拶」はそれなりに心躍るものではありました。
で、ようやくここからが本題。
私が実家で過ごした二十ン年の中で、最も印象に残った「ご贈答品」っていうのがですね、これが、『米』なのでありますよ、米。
何年か前、冷害で大々的にお米不足になった事がありましたよね。あの時に、普段は別のものを贈って下さるある方が、
「親戚に農家がおりまして」
と、お米を送ってくれたんですね。それが、「農家さんが自分の家で食べるために取り置くお米」だったんですよ。たまたまその時、どうやら父がその方の仕事について結構な尽力をしたらしくて、「かなり無理を言って」親戚から分けて貰ったそのお米をさらにうちに回してくれたらしいんですが。いやもうそのお米って奴が奥さん!よく、炊き立てのご飯を「真珠のような」などと表現したり致しますが。あれってねえ、本当に見事なお米だと、決して誇張でも何でも無くなっちゃうんですよ。単なる白ではなく、どこか外側に透明感があって内側が柔らかいミルク色で、全体的に複雑な輝きがあって・・・。
当然、見た目ばかりではございません。噛み締めると適度な弾力と滋味甘味が口の中で広がり、もう幾らでも食べられちゃう様な美味しさでして。いやもう、その時私は、「嗚呼第一次産業の特権」と呟かざるを得ないような、鮮烈なお米体験をしたのでございました。
という訳で、以来すっかり白米大好きな私。実家では、食卓の全てがパン好きの母(3食パンが1週間続いても平気)の管理下にあったもので、以前は米に対して割合無頓着だったんですが。家を出て自分で台所を仕切るようになってからというもの、「いかにお米を美味しく食べるか」という事は、献立を考える上で非常に重要なキーワードとなっている訳でございます。最近に至っては、非常に美味しいお米を見つけてしまったので、塩結びとか味噌結びでおやつ代わりにお米を食べてしまう始末(といいつつ麺類も好きなんですけどね)。
ご飯の食べ方で一番好きなのって何だろうなあ。究極は塩結びにお味噌汁、という取り合わせなんだろうけど・・・茄子の芥子漬けで食べるのもたまらないし、焼き魚と一緒に食べるのもいいし、お米の味がしっかりしていればぶっかけ系(中華丼とかカレーとかね)もいいし。軽く酢を入れてお刺身で丼、大根おろししらす干を載せてたらんと醤油をたらしたりも絶品、筋子を麺つゆにひたしておいたのを熱々の炊き立てご飯でお結びにするのも強烈な美味しさだし、また海苔にべたべたとご飯を載せて、上からバターもしくは角切りのプロセスチーズを載せて醤油をたらしてくりくりっと巻いたものを丸かぶりするのもまた至福・・・。

なんですけどね!けどね!
今私、思う存分お米食べてる場合じゃないんですよ!ダイエット中なんですよ!食べられないんですよ!米!ああ!食べたい!食べたい白米!卵がっとかけて丼一杯の白米!食べたい!食べたいーーーーーーーー!